お出かけ/Outdoor
おみゆきさん
釜無川の水防を
祈願するお祭り
おみゆきさん
2012年の今年は15日が日曜だったこともあり、例年以上の盛り上がりをみせる祭りとなった「おみゆきさん」。
毎年4月15日に行われる「おみゆきさん」は釜無川の水防を祈願するお祭りです。
今から約1200年前の天長2年、淳和天皇が釜無川の水難を除くため勅使を派遣し、三社神社に命じて水防祭を行ったのが起源とされています。
三社とは、一宮町「浅間神社(木花開耶姫)」、御坂町「美和神社(大物主命)」、甲府市「玉諸神社(大国主命)」の三社です。
神輿は、水害のあった甲府盆地の東側の一宮町「浅間神社」、二宮、三宮を経て「三社神社」まで水防祈願の思いを込めて信玄堤を渡御しました。
また、「水神」と書いた小石を投げて水防を祈願する儀式、川除祭(水防祭)を行いました。
今回は一宮町「浅間神社」、甲府市「玉諸神社」信玄堤「三社神社」のお祭りの様子をお伝えします。
一宮浅間神社
約2000年前、正月にはじめて神山の麓にお祀りされたのが起源とされているそうです(現在は本社に付属する社―――摂社「山宮神社」となっています)。富士山大噴火の翌年である貞観7年―――865年の12月9日にかの名高い神の一柱、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を現在地にお遷ししてお祀りされ、明神(名神)大社と一社であると言われています。
本殿前で神楽を舞う四人の巫女。流れる伝統音楽に合わせて手に持った鈴を鳴らしながら舞う姿が印象的でした。
隣の神楽殿でも、日本神話をモチーフにした神楽が行われ、その力強い神代の魅力で見る人を圧倒していました。
向かう途中利用したタクシー運転手さんの話によれば、昔は道路にまで出店が出て大変賑わっていたそうですが、最近は境内のみで留まっているようです。
しかし桃の花が色付く境内は多くの人で溢れ、いかにも祭りらしい雰囲気となっていました。
山梨県有数のワイン生産地である笛吹市のお酒やおツマミなど商品を販売するブースもありました。甘酒に少量の赤ワインをブレンドした「紅甘酒(べにあまざけ)」は、お祭り限定商品で1カップ200円。
赤ワインの酸味が甘酒の甘さを和らげ、なんとも飲みやすい一品に仕上がっていました。
電話 0553-47-0900
玉諸神社
863年ころより、中央から任命される国司制度により赴任した国司の巡回する順に一宮、二宮、の称号があたえられ、玉諸神社は3番目ゆえ、甲斐三宮と称されました。
その後、武田家も代々祈願所として崇敬を深めました。そして武田家滅亡と共に兵火にかかり社殿すべて消失しましたが、徳川家より大事にあつかわれ、1609年徳川家康の命令で社殿が作られました。
そして何回かの修繕をへて、2004年3月、玉諸地域全体の神様として新しい拝殿が出来上がったそうです。
お祭りの当日はたくさんの方が神社を訪れ、舞を観たりおいしいものを食べたり、 紙芝居なども行われ各々に楽しんでいました。
夕方あたりに御神輿が戻ってきて神様を拝殿に戻す儀式などがとり行われました。
信玄堤三社神社
浅間神社の祭神「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」が女性のため、神輿の担ぎ手の男性は紅おしろいに白塗りの化粧をし、色鮮やかな浴衣姿で女装し「ソコダイ、ソコダイ」の掛け声とともに担ぐのが恒例となっています。
神輿の掛け声「ソコダイ、ソコダイ」は、一宮町「浅間神社」から片途約七里という長い道のりのため終点がすぐ「ソコダ」と威勢をつけた意味だといわれています。
昨年は震災の発生直後のため、担ぎ手が派手な衣装の着用を控えるなど一部自粛でしたが、女装した男たちが美しさを競い合う「木花開耶姫(このはなさくやひめ)化粧コンテスト」も再開。
また、練り歩きながら水防祈願・成就祈願のお守りを沿道の観客に配るといった場面も。
華やかに着飾った担ぎ手たちが祭りを大いに盛り上げていました。